フィリピン帰りのヨコピーノ

フィリピンで8年暮らしましたが2020年3月に帰国して、そのまま日本にいます。フィリピンの話題や自分自身の暮らしを書いています。

フィリピンでも紹介された忠犬ハチ公生誕100年

おはようございます。


 渋谷駅前の銅像でおなじみの


忠犬ハチ公は、昨日11月10日が


誕生日でした。


 フィリピンの日刊紙は、以下のような


コメントで、ハチ公の生誕100年を紹介


しました。


 あなたはまだインスピレーションを


持っています。


今日は、日本の永遠の忠実な犬ハチ公


の生誕100周年です。 この日も、ふわ


ふわした友人の愛と忠誠心を大切に


するためのリマインダーとして


役立ちましょう。



 忠犬ハチ公は、大正末期から昭和


初期にかけて、東京市の渋谷駅まで


飼い主の帰りを出迎えに行き、


飼い主の死去後も約10年にわたって


通い続けて飼い主の帰りを待った


という逸話を残しています。


1923年11月10日 (大正12年)に


秋田県北秋田郡二井田村


(現:大館市)で生まれました。


飼い主は、 東京帝国大学農科大学の教授


の上野英三郎氏です。

フィリピンのINQUIRER紙のネット版


に掲載されたハチ公生誕100年です。


渋谷駅前のハチ公像です。


ハチは毎日朝と夕、渋谷駅に出向いて


改札口の前に座りこんだ。暑い日も、


雨の日も、雪の日も、博士の降りて


くる方向を向いてじっと座り続けた。


あたかも、ここで待っていればいつか


博士は戻って来る、と信じているかの


ように……。


こうしたハチの姿に感銘を受けたのが


日本犬保存会の創設者、斎藤弘吉


(ひろきち)氏だった。


斎藤氏は1932年、東京朝日新聞


(現・朝日新聞)に「いとしや老犬


物語」と題して寄稿。


「今は亡き主人の帰りを待ちかねる


7年間」と紹介するや、ハチは一躍


国内外で知られることになる。


多くの人々が同情を寄せ、老齢と


なり弱りはじめていたハチを気遣い


渋谷駅の職員らも面倒を見るように


なった。


新聞、ラジオなどで報道され、有名に


なるにつれて、付近の住民たちから


「ハチ公の銅像を建設しよう」という


声が高まる。


1934年に入り、有志による募金運動


がスタート。


台座の高さ180センチ、ハチ公像の


高さ162センチの立派な銅像が渋谷駅


の改札口前に完成する。


4月21日の除幕式にはハチも出席した。

2015年に東大の農学部キャンパス


(東京都文京区本郷)に上野博士と


ハチの銅像が造られました。


1935年(昭和10年)3月8日午前6時頃


約10年にもおよぶ駅で待つ日々は


終わりを告げた。


ハチ公は、渋谷川にかかる稲荷橋


(現在の渋谷警察署向かい側付近)


の近くで冷たくなっている所を発見


された。


この付近にはハチは通常行かなかった


という。


享年11歳、11年3ヶ月26日でその生涯


を閉じた。


なぜ普段は足を運ばなかった場所に


ハチがいたのか、それは生前お世話


になった人々に最後の挨拶をして


回っていたからだという説がある。