フィリピン帰りのヨコピーノ

フィリピンで8年暮らしましたが2020年3月に帰国して、そのまま日本にいます。フィリピンの話題や自分自身の暮らしを書いています。

ニノイ・アキノ暗殺から40年

こんにちは。


 今日、8月21日は、マルコス独裁


政権下で暗殺されたベニグノ・


アキノ元上院議員の命日です。


ニノイ・アキノ元上院議員は1983年


8月21日、3年間亡命していた米国から


中華航空機でマニラ空港に到着し、


多数の知人や支援者、乗客らが


見守る中、国軍兵士3人に連行され、


搭乗機からタラップで降りる際に


何者かによって銃撃を受けて殺され


ました。


当時のマルコス大統領の独裁政治に


異議を唱え続けた同氏は野党の顔


でした。


この暗殺事件を機に反マルコス運動


がさらに広がりを見せ、マルコス一家


がハワイに亡命する1986年2月の


アキノ政変(エドサ革命)へと


つながりました。


 21日は政府によって特別休日に


指定されています。


ニノイ&コリー・アキノ財団に


よると、首都圏ケソン市のサント・


ドミンゴ教会で21日に追悼ミサが


行われるという事です。


 同氏の遺骨は、パラニャーケ市の


マニラ・メモリアル・パークにある


妻コリー・アキノ元大統領と息子の


ノイノイ・アキノ元大統領とともに


埋葬されており、毎年、アキノ一家


や支持者たちがこの時期に墓参りを


しています。

8月21日は、故ベニグノ・アキノ・


ジュニア元上院議員の命日です。

故ベニグノ・アキノ・ジュニア


元上院議員の支持者らが、1983年


8月21日の同氏暗殺後の大規模な抗議


活動の場となったアヤラ通りの彼の


記念碑の周りに巻かれた黄色いリボン


を残します。

記念碑です。


1983年8月21日のマニラ国際空港です。


運ばれる白い服の人が故アキノ氏です。


マニラ国際空港は、その後、ニノイ・


アキノ国際空港(NAIA)と改称


されました。.

マニラ首都圏パラニャーケ市の


マニラ・メモリアル・パークにある


お墓です。