フィリピン帰りのヨコピーノ

フィリピンで8年暮らしましたが2020年3月に帰国して、そのまま日本にいます。フィリピンの話題や自分自身の暮らしを書いています。

フィリピンは124回目の独立記念日

おはようございます。


 フィリピンは昨日、124回目の独立記念日を迎え、マニラ市のリサール公園


で記念式典を開催しました。


ドゥテルテ大統領は、リサール公園で最初で最後の式典に参列しました。


 独立記念日のメッセージで、ドゥテルテ大統領はフィリピン人に、憎しみ


や分裂を引き起こすことなく、団結して意味のある言説を行うように勧め


ました。


「したがって、国造りの継続的なプロセスにおける私たちの絶え間ない識別


力は、私たちの自由が私たちを賢くするためにあり、私たちが常に正しいか


より良いことを証明するためではないことを私たちに認識させます」と


ドゥテルテ大統領は、述べました。


また、ドゥテルテ大統領は、旗を掲げる式典を主導し、フィリピンの国民的


英雄であるホセ・リサール博士の記念碑の前に花輪を捧げました。


彼の演説の中で、彼は1世紀以上前に、フィリピン人が植民地支配を強制的に


拒否することによって、人々としての彼らの「集合的な力と意志」を世界に


示したと述べました。


1898年6月12日、カビテのカウィットでスペインの統治からの独立を宣言した


のは、最初のフィリピン大統領として広く認められたエミリオ・アギナルド


でした。


「私たちの真の自由への道は長くて退屈なものでしたが、私たちの祖先は


何マイルも歩き、私たちをアジアの共和党民主主義の先駆者にしました。


私たちが歴史を通して織り成してきた共有された物語は、どのような価値観


を持ち、どの教訓を覚えておくべきかを私たちに教えることで止まることは


ありませんでした」とドゥテルテ大統領は述べました。


それから彼は今日のフィリピン人に、彼らが人々のより良い未来を形作る事


ができるように彼らの過去を学ぶことから力を引き出しながら、彼らの現在


の選択、決定そして行動から得られる知恵がまだあると信じ続けるように


呼びかけました。


「私たちの最も大切な自由を行使するときでさえ、私たちの違いは、憎しみ


や分裂をまき散らすことなく、健康的でありながら意味のある言説に従事


するように私たちを動かし、そして私たちの国を正しい方向に押し進める事


ができます。私たちの前にやってきた人々に代表される愛国心と祖国への


愛情の精神で、フィリピン国民の栄光と勝利のために団結して団結しましょ


う」と彼は言いました。


大統領としての彼の最後の独立記念日でしたが、リサール公園でのこの機会


に旗を掲げるのを主導したのはドゥテルテにとって初めてでした。


彼は2017年にリサール公園の最高経営責任者として最初の独立記念日を祝う


ことになっていたが、気分が悪いためイベントをスキップした。1年後、彼は


カビテのカウィットで式典を主導し、そこで彼は彼の政策に批判的な活動家


にやじられました。


2019年、ドゥテルテはラナオデルスルのマラバンにある第6歩兵大隊の兵士


と独立記念日を祝いました。その後、2020年にCOVID-19が入国した年、彼は


群衆を引き寄せないようにルネタでの活動を再びスキップしました。


昨年、大統領は、フィリピン第一共和国の発祥の地であるブラカンのマロロス


市で行われた独立記念日の儀式に出席しました。


昨日、Duterteは、マニラでのフィリピン沿岸警備隊(PCG)船、BRP


Melchora Aquinoの試運転、およびバレンズエラ市でのメトロマニラ地下鉄


プロジェクトの最初のトンネルボーリングマシンの降下にも参加しました。

国旗掲揚塔の前のドゥテルテ大統領です。




国旗掲揚です。





ドゥテルテ大統領はリサール顕彰碑に献花します。




ロドリゴ・ロア・ドゥテルテの名前が見えます。


献花を終えたドゥテルテ大統領です。


リサール公園の上空には、フィリピン空軍の記念飛行です。




 ドゥテルテ大統領は、昨日の独立記念日の式典が任期中の最後の大きな行事


でした。


124回目の独立記念日、おめでとうございます。

6月26日にマニラ市のキリノ・グランドスタンドで、ドゥテルテ大統領の


感謝の集いが行われます。


6月30日には、マルコス大統領の就任式が行われます。


ドゥテルテ大統領には退任後も麻薬撲滅へにらみを利かせてほしいと


思います。


6年間お疲れ様でした。